2013年3月17日日曜日

「動画」の可能性―ネット選挙運動解禁は「静かな革命」か(1)

 ネット選挙運動解禁が間近となってきた。すでに指摘されている通り、与党案にはメールの送信を政党・候補者に限って認めるなど様々な制限があり、今回は部分解禁と言えるだろう。「ネット選挙運動解禁」の不十分さをあげつらうのは、この法案をウォッチしている人間にとっては簡単だろうし、確かにおかしな点、気を付けなければならない点も多々ある(そのような点については、別途指摘する予定である) 。
 ネット選挙運動解禁によって政治が変わるか、あるいは変わらないか、という議論がある。しかし、実をいうと私はそのような議論にはあまり興味がない。ネットやSNSを使えるようになったからといっても、本当に有効な活用方法を考え、実際に選挙で使われるようにならなければ「変わらない」に決まっているからである。
 正直言って、私は今の日本政治には満足していない。だから「変わるか、変わらないか」よりも、「政治を変えるにはどうすればいいか」について、私の限られた頭を使っていきたい。せっかく、ネットという大きなポテンシャルを持った武器が選挙運動に使えるようになるのである。諸刃の剣であることを自覚しつつも、政治を変えるための活用の可能性について探っていきたい。

 さて、そこで今回取り上げるのは「動画」である。
 いまさら「動画」かよ、と拍子抜けされたかもしれない。しかし、この「動画」という括りをうまく使うことによって、大きなインパクトがもたらせられるかもしれない。
 例えば、現行の公職選挙法は、選挙期間中に、市民が候補者討論会を主宰することを禁止するなど、様々な制限を課している。しかし、今回の改正によって、ネット上で行われる「討論会のようなもの」は、すべて「動画」として自由に行われるようになるのである。現状では「合同・個人演説会」という、いわば裏技のような形で、候補者同士の議論を行っているが、候補者の日程が合わずに開催されないということはよくある。特に相手が大物現職で、各地に遊説に行っていると、「多忙」を理由に断られ、新人候補者としては、直接相手と議論することによって、違いを際立たせて支持を広げるという戦略は取りずらかった。
 ところが例えば、Googleハングアウトなどを使えば、相手がどこにいようが、有権者の前で議論をすることができるのである。相手は、これまでのように「多忙」を理由に逃げられない。動画の投稿時間についても、特段制限がないため、リアルの選挙運動が終わった後の深夜にでも開催することができる。つまり、相手がどこにいようが、いつであろうが、候補者の討論「動画」の投稿は無制限にできるのである。「日程が合わない」という言い訳が効かない以上、新人候補者は積極的にネット「動画」討論会を仕掛けるかもしれないし、「逃げた」とみられないためにも相手も乗ってくるかもしれない。
 それでは現職にとって一方的に脅威かというと、必ずしもそうとは言い切れない。全く注目されていない点であるが、今回の改正案では、屋内の演説会場内における映写が解禁されることになっている。ということは、遊説中で選挙区に戻れない候補者も、演説会を開いて、ネットをスクリーンに「動画」で流すことで、支持者固めができるのである。公職選挙法では、演説会に候補者の出席は義務付けられていないし、複数同時に別の会場で、開催してはならないという規定もないのである。
 ネット選挙運動解禁は、ネットユーザーしか関係のないことで、ネットを使わない(しかし投票率は高い)高齢者にはまったく影響がない、とも言われる。しかし、このような「動画」をうまく使うことで、ネットを使わない高齢者にも候補者や政策について浸透させる戦略ができるかもしれない。
 しかし私がなんといっても期待するのは、民間の事業者や市民団体である。繰り返しになるが「討論の動画」は誰でも自由に発信することができる。そこでソーシャルメディアを組み合わつつ、ustream,youtube,ニコニコ動画などを使いつつ、様々な「動画」を作り出すことで、選挙を盛り上げるサービスができることを期待したい。

2013年3月5日火曜日

【書評】『日本の変え方おしえます―はじめての立法レッスン』(政策工房著、高橋洋一監修)

ニッポンの変え方おしえます: はじめての立法レッスン近年、反原発デモから韓流反対デモに至るまで、その是非はともかく街頭から盛んに人々の「声」が聞こえるようになったことは確かだろう。
 おとなしくて「お上」の決めることに従順という、日本人のイメージは変わりつつあるのかもしれない。しかしそのような声など、まるで聞こえないかのように、粛々と政治は動いているようにも見える。しかしそれは、政治の側が鈍感なだけが理由だろうか。
 もちろん人々が声をあげることは重要である。しかし本書で言われているように、社会は「法律」によって変わっていくという事実にも目を向けなければならない。
 本書は、法律とはそもそも何なのであるか。法律がどのように作られるのか、といった基礎的なことから、請願や陳情あるいはパブリックコメントなどのように、私たちができる実践的な政治へのかかわり方まで網羅している。しかも「生徒」と「高橋先生」が、かけ合いながら話を進めていくので、誰でも気軽に読みすすめることができる。
 社会を変えたいという意識の高い人間は稀かもしれない。しかしある時、特定の問題に強い憤りを覚えることは誰でもあるだろうし、ひょっとしたら不条理な目に合う可能性もある。そんな時に法律はどうなっているか、法律を変えるには、どこに、どのように要求すればいいのかという視点の有無は大きな違いとなるかもしれない。
 デモによって、人々の声が現れることは良いことだと思う。しかし、一方で政治の「起動ボタン」を、きちんと認識し、戦略的に行動することも重要ではないだろうか。
 さて、本書は入門書ではあるが、現在の政策決定過程の改革についての、重要な提言が含まれている。
 例えば、政治を官僚主導ではなく「政治主導」にするためにはどうすればいいか。飯尾潤は、『日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ』の中で、日本の統治構造を鮮やかに描き出しているが、飯尾の処方箋は、マニフェストによる政治の実現と、政府・与党が一致して政策の立案にあたることであった。いわば、議院内閣制の本来の機能を取り戻させることで「政治主導」を達成しようというものであった。
 まさしくこのようなことを掲げたのが先の民主党であった。しかしマニフェストで掲げていた「埋蔵金」は、思うように掘り出せず、全く書かれていなかった消費税増税を打ち出したことで、自らマニフェスト政治の評判を下げてしまった。さらに政府・与党の一元化を打ち出し、いったんは政策調査会による与党の事前審査を廃止したが、結局党内の反発で復活せざるを得なくなってしまった。
 一方で、官僚の手段に熟知している著者が、本書で掲げるのは議員立法の活用である。特に与党も積極的に活用していくべきだという主張は新鮮に映る。詳細については、本書で是非お読みいただきたいが、いかに「慣例」に過ぎないことで、政策決定過程が根詰まりを起こしているか、読者は驚くことだろう。
 人々の声を民間の立場から政治の世界につなげる「政策起業家」や「政策プロデューサー」などの提言も大変興味深い。本書を通じて、国だけでなく、身近な各地域でも「政策市場」のプレーヤーが登場することを期待したい。



ニッポンの変え方おしえます: はじめての立法レッスン
ニッポンの変え方おしえます: はじめての立法レッスン


2013年3月2日土曜日

「細かすぎて伝わらない」では困る、ネット選挙解禁法案

 与党、野党ともに国会に公職選挙法改正案を提出した。
 与党案には日本維新の会、生活の党、社民党なども同調している。衆参で過半数になるので、ひょっとするとすんなり与党案が通ってしまうかもしれない。しかしその与党案の細部をみると、何を意味するのかよく分からないところや、候補者や有権者の間に誤解を生みそうなところがある。かつて、テレビで「細かすぎて伝わらない…」などというコントがあったように記憶しているが、選挙で「細かいところ」で引っかかって、公職選挙法違反になってしまっては、笑い話では済まなされない。そうならないように、与野党でしっかり審議し、細部まで詰めて欲しい。
 一見、細かい点なので、あまりメディアでも注目されていないが、そのまま放置すると「思わぬ落とし穴」になりかねない点を、今回は3点挙げたい。特に3については、おそらく当の法案に関わる議員ですら、よく分かっていない点だと思うので、しっかり審議してほしい。

1.「この人いいね!」はダメだけど「この人ダメだね!」は良い??

例えば選挙運動用メールである。「第三者」である有権者は、選挙運動用メールを送ることができないことになっている。一有権者が友人に「この候補者良いよ!投票して!」として送ってしまうと、公職選挙法違反に問われる可能性がある。が、実は落選活動(当選を得させないための活動)用のメールだったら送ることができるのである(改正案第142条の5)。つまり「この人いいよ当選させよう」はダメなのであるが、「この人だめだよ落選させよう」はオッケーなのである(ただし、メールアドレス及び氏名又は名称を正しく表示させなければならない)。これが本当に整合的なのかわからないが、メールで選挙に関する話題は一切ダメなんじゃないかと思っている有権者も多いのではないだろうか。メールだけの話ではないが、ネット上の政治議論が委縮しないように、ダメな場合をしっかりと説明しなければならないだろう。

2.「まぐまぐ!」などをつかって、選挙運動用メール配信はダメ?

候補者が一番やってしまいそうな落とし穴は、「まぐまぐ!」のようなメール配信代行業者を通じての選挙運動用メールを配信してしまうことである。与党案では、電子メールは送信者「本人」に運動用電子メールを求める人に対してしか、送ることが許されていない。したがって、「まぐまぐ!」のようなメール配信システムでは、直接候補者本人に申し込んでいるわけではなく、業者は電子メールを受信を希望する者に対して機械的に電子メールを送信しているに過ぎないので、おそらくはダメになるだろう。この点も、はっきりとさせて、周知徹底しないといけないだろう。

3.なぜ「バナー広告だけ可」なのか議論を。

与党案では、政党のみ「バナー広告」が認められることになった。しかしその理由が、聞けば聞くほどよく分からない。この法案に関係する議員の中にも、実は「バナー広告」自体、よく分かっていない人がいるかもしれない。例えばある議員は、リターゲティング広告(Cookie情報を元に、一度広告主サイトを表示したことのあるユーザーに再度、訪問を促す手法)などいろんな広告があるので、それを規制したいと言っていた。しかしこれは意味不明と言わざるを得ない。バナー広告のみ認めるという事は、そうしたターゲティング広告を規制することに繋がらない。例えば有名検索サイトの「バナー広告」は利用者の検索履歴、あるいは住んでいるエリアから、ターゲットごとにバナー広告を行っているからである。
 さらに、なぜバナーはよくてテキストはダメなのか、その理由もよく分からない。おそらくその趣旨は、広告とそうでないものをはっきりさせたいということだろう。であれば、アメリカの州の多くが、「paid political advertisement(有料政治広告)」ときちんと表示させる義務を負わせているように(中には広告金額まで公表する義務を課しているところもある)、広告であるという表示義務を負わせればいいということではないか。

 インターネット選挙解禁法案をめぐる、与野党の違いは、有権者に選挙運動用メールの送信を認めるか否かばかりが注目されがちであるが、その裏で大切な論点が見過ごされているように思う。もちろん、インターネット選挙解禁は早期に実現してほしい。しかし「拙速な審議」だけは避けてほしい。すべての有権者が当事者となるのが公職選挙法である。迅速でありながらも丁寧な国会審議を期待したい。